2012年02月21日

後始末異聞

 昨年末から続いた親族の後始末に、ようやくひと区切り。手続き中最大の難物と思われた不動産の相続登記を完了させた。もっとも、相続人の間で話がついて、かつ故人の戸籍がきっちり揃っていればほぼ一発…なんだが、とにかく後者が面倒だったのだ。
 日本では、生まれて親の戸籍に入る・結婚して別戸籍になる・引っ越して本籍地を移動させる・離婚する・再婚する・また引っ越して本籍地移動…とかやってると変更前の戸籍が控として元の住所に残るシステムなんだが、死んで相続が発生したとなると、その全てが必要になるわけだ。上の例の場合は、だから6通の「改正原戸籍」がある。んでもってプラス、死亡が記された戸籍。
 これらが自治体をまたいでると、そりゃーもう面倒になる。例えば沖縄生まれで結婚が北海道、家を建てて本籍地にしたのが東京とかだったら、煩わしいなんてもんじゃない。もっとも当方の場合は道内だけで収まってたのでさほどの事はなかったし、手元にある死亡時の戸籍から前の住所を順繰りに辿るのはちょっとした探偵ごっこのようで面白くもあるのだけれど。

 こういう時、本当にネットの発達と有難味が痛感される。たいていの事はググれば一発、そして自治体のウェブサイトで取り寄せ方法を読めば、書式に記入して小為替を用意、後は返信用封筒に切手を貼って送るだけ。
 んでもって登記申請書なんかも全て役所のサイトに揃ってるし、経験者が懇切に解説してくれている個人サイトも枚挙に暇が無い。個別には申し上げませんが、皆様ほんとうにありがとうございました。
posted by 司葉柾樹 at 00:00| Comment(0) | 雑記

2012年02月12日

悪魔が来たりて呪うべし

 休日2日目。本日は映像在庫を一気に!と思ってたのだが、勢いがつかずにグダグダ居眠りしつつ、何故か昨年視聴録画した1996年2サス版の『女怪』を流し観。目当ては珍しく二役をこなす神保悟志氏(当時35歳)で、その点についてはかなり満足度が高かったのだが…いかんせん、ストーリーや演出が「無ぇわ」の続出だったので、ちょいと文句を書き連ねてみる。
 えーと。
 酷ぇ原作レイプだったわこれ。←「ちょいと」ではなかった模様



 序段の(オリジナルに無い)殺人は、まあ尺伸ばしと話の継ぎ合わせということで理解できる。だが本筋を変えるなよ、トリックを無にするなよ。ヒロインが同一人物に気付かずに●しちゃって後で明かされる真相が(ホームズ譚の『唇のねじれた男』よろしく「えーと…どうしよう」的居心地の悪いだけエンディングを迎えることも出来たろうにと)悲しい話なのに、単なる殺人の連鎖になってる。そもそもアレじゃ二重生活のわけがイミフだろ。
 金田一のキャラが改悪されてるのも痛い。その朴訥な人柄もあってか女性に対して引っ込み思案な彼が、惚れた相手のためシラノよろしく陰ながらナイト役に徹するも、それが完全に裏目に出た…のがまるで描かれない。据え膳食わずにスルー、それを後で非難されるなんて話にされたら大横溝が墓石の下ででんぐり返しするぞ。脚本家はなんと心得るか。
 まあアレだ、ビジュアルは良いので原作ファンは必要な部分を脳内キャプチャして挿絵に使うのがオススメ。とくにファンゆえの身贔屓を差っ引いても神保氏の画はイケてる。前半の二重眼鏡キャラは衣装やメイクで作る部分が大きいとはいえなかなか似合ってるし、後半登場のほうは文句のつけようが無い。街灯に浮かぶシルエットの色男っぷりは若干嫉妬したくなるほどだ。あくまで若干なんだからね!

 つーことでドラマをうっかり観た方にも原作一読がお勧め。ついでに、おそらく尺伸ばしに使われた部分はこれだろうと思うので紹介。こっちはフランキー堺氏のビジュアルでは残念ながら合わないが。

posted by 司葉柾樹 at 00:00| Comment(0) | 映画・ドラマ

2012年02月11日

**小説

 約1ヶ月半ぶりの休日。

 12月の半ばに親族が急死してからこっち、平日は通常業務、休日は全てあちらの片付けに追われて過ごしてきた。ただ死んだだけならまだしも変死ファクターまでオマケとあっては、事後処理もイレギュラー三昧である。あのな、こちとらレギュラーでも仕切った事が無いんだよ勘弁してくれ。
 葬儀の手配に警察の対応、相続財産の整理に諸手続き、やる事は多岐に渡りしかも煩雑である。およそひと一人が生きるのも難儀なものだが、死ぬのもなかなか面倒なものだと痛感するばかり。自分の時は相方に迷惑のかからぬよう、せいぜい片付けておくとしよう。ま、当方が死んで残るものといえばヲタグッズとかヲタグッズとかヲタグッズとかだけどな。

 とまあ、そんな流れの末、今日はそれらがひと段落して久々に解放されたわけである。しかも3日連続!
 いいだけダラダラ寝て、積みあがった本と録画ものを処理するぜ!

 とか思ってたら献血センターからメールが来た。管区内で大手術があって200人分を使ったので、登録者はぜひ来て欲しいとのこと。80リットルかあ、エリザベート・バートリの足湯ぐらいか?とか思いつつ、手近にあった文庫本を掴んで出かける。モノは『怪笑小説(東野圭吾・著/集英社文庫)』。
 そして帰宅して、だらだら寝転びかつ転寝しつつ残る3冊(黒笑小説・毒笑小説・歪笑小説)を読み終えた。



 瞠目し膝を打つような意外性や突飛さは、正直言って少ない。いまどきヤングw風にいうなら「フツーに面白い」というところ。短編にはそのテのファクターを求めがちな私としては、あまり読みつけなかったタイプだ。
 しかし、人を逸らさない。話の途中で本を置かせない不思議なヒキの強さがある。この人、とにかく読み易い文章を書くんだよな。
 また興味深いのは、作風の変遷だ。初期のそれは、何か、思い出させる微妙な感触がある。で記憶の底を掘ってみたら、古きよき時代のSF作家たちに似ているのだ。特に電車の中の情景を活写した1編など、筒井康隆の斜め視線を小松左京がきちりとした文体で書いてオチは星新一がつけました、みたいな味わい。
 それが近年になってくると、毒が消え棘が影をひそめて視線がやさしくなる。特に最新刊での出版業界の人々を描く筆はコミカルな中に情があって、単にネタとして弄ってるだけではないなあと思わされる。思うに男性作家にはこの傾向が強いような。あ、いや、世の閨秀作家が歳を重ねるにつけ苛烈誅求になってくるなどと言うつもりはありませんが。ありませんってばよ!
 とまれ、4冊セットで、巻末までじっくり読み込む本好きにお勧めしたい。あ、もちろん買うこと前提だ。貸さないからな。←最終作ネタ
posted by 司葉柾樹 at 00:00| Comment(0) | 読書