2012年02月11日

**小説

 約1ヶ月半ぶりの休日。

 12月の半ばに親族が急死してからこっち、平日は通常業務、休日は全てあちらの片付けに追われて過ごしてきた。ただ死んだだけならまだしも変死ファクターまでオマケとあっては、事後処理もイレギュラー三昧である。あのな、こちとらレギュラーでも仕切った事が無いんだよ勘弁してくれ。
 葬儀の手配に警察の対応、相続財産の整理に諸手続き、やる事は多岐に渡りしかも煩雑である。およそひと一人が生きるのも難儀なものだが、死ぬのもなかなか面倒なものだと痛感するばかり。自分の時は相方に迷惑のかからぬよう、せいぜい片付けておくとしよう。ま、当方が死んで残るものといえばヲタグッズとかヲタグッズとかヲタグッズとかだけどな。

 とまあ、そんな流れの末、今日はそれらがひと段落して久々に解放されたわけである。しかも3日連続!
 いいだけダラダラ寝て、積みあがった本と録画ものを処理するぜ!

 とか思ってたら献血センターからメールが来た。管区内で大手術があって200人分を使ったので、登録者はぜひ来て欲しいとのこと。80リットルかあ、エリザベート・バートリの足湯ぐらいか?とか思いつつ、手近にあった文庫本を掴んで出かける。モノは『怪笑小説(東野圭吾・著/集英社文庫)』。
 そして帰宅して、だらだら寝転びかつ転寝しつつ残る3冊(黒笑小説・毒笑小説・歪笑小説)を読み終えた。



 瞠目し膝を打つような意外性や突飛さは、正直言って少ない。いまどきヤングw風にいうなら「フツーに面白い」というところ。短編にはそのテのファクターを求めがちな私としては、あまり読みつけなかったタイプだ。
 しかし、人を逸らさない。話の途中で本を置かせない不思議なヒキの強さがある。この人、とにかく読み易い文章を書くんだよな。
 また興味深いのは、作風の変遷だ。初期のそれは、何か、思い出させる微妙な感触がある。で記憶の底を掘ってみたら、古きよき時代のSF作家たちに似ているのだ。特に電車の中の情景を活写した1編など、筒井康隆の斜め視線を小松左京がきちりとした文体で書いてオチは星新一がつけました、みたいな味わい。
 それが近年になってくると、毒が消え棘が影をひそめて視線がやさしくなる。特に最新刊での出版業界の人々を描く筆はコミカルな中に情があって、単にネタとして弄ってるだけではないなあと思わされる。思うに男性作家にはこの傾向が強いような。あ、いや、世の閨秀作家が歳を重ねるにつけ苛烈誅求になってくるなどと言うつもりはありませんが。ありませんってばよ!
 とまれ、4冊セットで、巻末までじっくり読み込む本好きにお勧めしたい。あ、もちろん買うこと前提だ。貸さないからな。←最終作ネタ
posted by 司葉柾樹 at 00:00| Comment(0) | 読書
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